典座 -TENZO-
日本
配給:空族
監督:富田克也
富田克也 監督が自ら語る
富田 克也
1972年、山梨県生まれ。脚本家・映画監督の相澤虎之助らとともに映像制作集団・空族(くぞく)を率い、「作りたい映画を勝手に作り、勝手に上映する」をモットーに活動。
舞台となる土地で実際に生活を営む人たちへ取材を綿密に行い、非職業俳優を積極的にキャスティングすることで、ストリートのリアリティをフィクションに差し込む。2003年に中上健次、柳町光男に多大な影響を受け制作に4年を費やした処女長編『雲の上』、2007年に地方都市のロードサイドに生きる荒んだ若者を描いた『国道20号線』を発表。続いて、寂れゆく日本経済を背景に、肉体労働者、移民、そしてヒップホップをテーマに制作した『サウダーヂ』(2011)ではナント三大陸映画祭グランプリ、高崎映画祭最優秀作品賞、毎日映画コンクール優秀作品賞&監督賞をW受賞など数々の賞に輝いた。
その後、タイおよびラオスにて長期滞在制作を行った『バンコクナイツ』(2016)は、20世紀のインドシナ半島での戦争の傷跡をトレースしつつ、複層的な物語構成によって、東南アジアから現代日本を逆照射した。本作は、ロカルノ国際映画祭など世界中の約30の海外映画祭に招待。国内では、第72回「毎日映画コンクール」にて監督賞、音楽賞をW受賞。その年の「キネマ旬報ベスト10」では6位に選出された。
そして最新作となる『典座 -TENZO-』が、2019年度のカンヌ国際映画祭 批評家週間「特別招待部門」に選出。既にフランスの全国公開が決まっており、2019年秋に150館以上で公開される予定だ。
舞台となる土地で実際に生活を営む人たちへ取材を綿密に行い、非職業俳優を積極的にキャスティングすることで、ストリートのリアリティをフィクションに差し込む。2003年に中上健次、柳町光男に多大な影響を受け制作に4年を費やした処女長編『雲の上』、2007年に地方都市のロードサイドに生きる荒んだ若者を描いた『国道20号線』を発表。続いて、寂れゆく日本経済を背景に、肉体労働者、移民、そしてヒップホップをテーマに制作した『サウダーヂ』(2011)ではナント三大陸映画祭グランプリ、高崎映画祭最優秀作品賞、毎日映画コンクール優秀作品賞&監督賞をW受賞など数々の賞に輝いた。
その後、タイおよびラオスにて長期滞在制作を行った『バンコクナイツ』(2016)は、20世紀のインドシナ半島での戦争の傷跡をトレースしつつ、複層的な物語構成によって、東南アジアから現代日本を逆照射した。本作は、ロカルノ国際映画祭など世界中の約30の海外映画祭に招待。国内では、第72回「毎日映画コンクール」にて監督賞、音楽賞をW受賞。その年の「キネマ旬報ベスト10」では6位に選出された。
そして最新作となる『典座 -TENZO-』が、2019年度のカンヌ国際映画祭 批評家週間「特別招待部門」に選出。既にフランスの全国公開が決まっており、2019年秋に150館以上で公開される予定だ。
あらすじ
10年前、本山での厳しい修行期間を終えた河口智賢(僧名・チケン)と
兄弟子の倉島隆行(僧名・リュウギョウ)は、自らの生まれた寺へとそれぞれ戻っていった。
富士山の裾野に広がる山梨県都留市、耕雲院。
智賢は住職である父と、母、妻、そして重度の食物アレルギーを抱える三歳の息子と共に暮らしている。
全国曹洞宗青年会副会長としての顔も持ち、いのちの電話相談、精進料理教室やヨガ坐禅など、
自分なりに今の時代に合った仏教というものを模索し意欲的な活動を続けている。
修行時代に精進料理を任される役職“典座”だった智賢は、かつて自分自身もアレルギーに苦しめられ、
それが本山の修行によって完治したという経験から高度に発展したこの現代社会にこそ仏教の教え、
その中でもとりわけ日常全ての人間が行う“食”に関する問題が大切なのではないかと考えていた。
「一体どうしたら多くの人々にそのことを伝えることができるだろう?そうだ。映画をつくってみたらどうだろうか?」
たまたま従兄弟が映画監督をしていたこともあって、智賢は“典座”についての映画を青年会で製作することを思いついたのだった。
一方の兄弟子・隆行は福島県沿岸部にあったかつての自身のお寺も、家族も檀家も、
すべてを東北大震災の時の津波によって流されてしまっていた。
今では瓦礫撤去の作業員として軽トラックを走らせながらひとり仮設住宅に住んでいる。
そんな隆行のことを人知れず心配している青年会の近藤は、山梨の智賢から届いたいのちの
電話相談の携帯電話を隆行にも託そうとするが「俺、いま土建屋だから」と断られてしまう。
年間3万人にものぼる自殺者を抱える現代日本。その日もいのちの電話相談には
睡眠薬を飲み過ぎた女性からの電話がかかってくるのだった。
そんなある晩、智賢の息子の智優が食物アレルギーによるアナフィラキシーショックで救急病院に運ばれてしまう…
兄弟子の倉島隆行(僧名・リュウギョウ)は、自らの生まれた寺へとそれぞれ戻っていった。
富士山の裾野に広がる山梨県都留市、耕雲院。
智賢は住職である父と、母、妻、そして重度の食物アレルギーを抱える三歳の息子と共に暮らしている。
全国曹洞宗青年会副会長としての顔も持ち、いのちの電話相談、精進料理教室やヨガ坐禅など、
自分なりに今の時代に合った仏教というものを模索し意欲的な活動を続けている。
修行時代に精進料理を任される役職“典座”だった智賢は、かつて自分自身もアレルギーに苦しめられ、
それが本山の修行によって完治したという経験から高度に発展したこの現代社会にこそ仏教の教え、
その中でもとりわけ日常全ての人間が行う“食”に関する問題が大切なのではないかと考えていた。
「一体どうしたら多くの人々にそのことを伝えることができるだろう?そうだ。映画をつくってみたらどうだろうか?」
たまたま従兄弟が映画監督をしていたこともあって、智賢は“典座”についての映画を青年会で製作することを思いついたのだった。
一方の兄弟子・隆行は福島県沿岸部にあったかつての自身のお寺も、家族も檀家も、
すべてを東北大震災の時の津波によって流されてしまっていた。
今では瓦礫撤去の作業員として軽トラックを走らせながらひとり仮設住宅に住んでいる。
そんな隆行のことを人知れず心配している青年会の近藤は、山梨の智賢から届いたいのちの
電話相談の携帯電話を隆行にも託そうとするが「俺、いま土建屋だから」と断られてしまう。
年間3万人にものぼる自殺者を抱える現代日本。その日もいのちの電話相談には
睡眠薬を飲み過ぎた女性からの電話がかかってくるのだった。
そんなある晩、智賢の息子の智優が食物アレルギーによるアナフィラキシーショックで救急病院に運ばれてしまう…
STAFF
監督:富田克也
脚本:相澤虎之助、富田克也
プロデューサー:倉島隆行(全国曹洞宗青年会)
脚本:相澤虎之助、富田克也
プロデューサー:倉島隆行(全国曹洞宗青年会)
出演者
河口智賢
近藤真弘
倉島隆行
近藤真弘
倉島隆行
青山俊董